書こう書こうと思ってずっとサボってた。
気がつけば4月も真ん中だ。
ライブは前半ばかりで
後半はあけてる。
5月の新宿JAMフェスまで。
はやく次の東京を決めなきゃとか。
6月はどうしようとか
7月はあついのかとか考えてたら。
もう夏がおわっちまう。
今月はローグ、カウンター、苫小牧エルキューブ。
札幌LOGでは
ティティの音楽祭というイベントの99回目だった。
俺の大好きな人がずっとやっていた名前のイベントでね。
99回目はすごかったよ。ああ、俺たちが1番半端なかったね。
100に繋げるためのライブなんてしねーよ。
99回目による99回目のための99回目だったんだ。
ティティの音楽祭が200回目になる頃に俺はデビューしてやるよとか思ってたんだけど終わった後にけいさんが申し訳なさそうに
100回目で終わりにするんだ…笑
っていってきてふざけるなって思ったけどまぁいいやって笑ったわ。
カウンターアクションはTHE安全ピンがはじまってからはじめての箱だった。
前のバンドでよくやってた。ひとりでもようやってた。
THE安全ピンで久々にしてはじめてのカウンターアクション。
おれたぶん熱があってぶっ倒れそうだった。
でも大阪から愛はズボーンが来札しててなんとしてもダサいことはしたくなかったけど最後の方はもう歌ったら倒れそうになって声がでなかった。
悔しかった。泣きたかった。
鼻水もよだれも垂れ流しながら叫んだ。
最後にギターのペグはまたとれてた。
今年になって何回ペグを直せば気がすむんだ…もう店にもってくの三回目でそれも死ぬほど恥ずかしかった。
けどエレキ堂のマスターが優しくなおしてくれた。
ていうか直してくへれるのはエレキ堂だけだ。他は門前払いみたいなかんじ。いますぐには直せません!!みたいな。
でもエレキ堂は三回連続ですんなりなおしてくれた。おいおい。
すいませんでした。
カウンターの次の日が苫小牧エルキューブだったから昼にリペアしてもらってギリッギリ苫小牧ハスカップ号に駆け込み乗車。
まくらと走って死にそうになりながらバスに乗り込んだ。
苫小牧は静かな港町だった。
俺らのことを名前だけ知ってる対バンのひとたちがおおくてそれだけで嬉しかった。
苫小牧は近いしまたすぐにいくと店長と約束して
トリのTHE武田組をアンコールまで見送って急いでまた終電のJRに乗り込んだ。
本当はゆっくりしたかったんだけど残念だ。またな。
てな感じで3本あっという間だ。
あ、その中に釧路もあった。
突然の釧路ってことでいろいろひどかったんだけどなんとか釧路いけてよかった。
カメレオン7レコ発おめでとう。
またお願いしますわ。
釧路でみるボインボインズがやばかった。
皆既月食の夜だった。
それから先週は
ハンバーガーショップで歌った。
北24条のジャクソンビルってところで。
最高のハンバーガーだったなぁ。
東京からは内藤重人とな井之頭蓄音団のまつおさんとかタグチハナちゃんとかいてなんだか賑やかな夜だった。
俺は誰よりもでかい声でうたった。
けむりから歌った。
昼前か。
そろそろ行かなくちゃ。
壊れたギターは鳴らせと言わんばかりに佇んでいる。
よっしゃ。
今日はスタジオいってくる。
俺たちはまだまだこれからだ。
一生まだまだこれからだよな。