2020年3月12日木曜日

この旅を終えたら3

広島での携帯修理も無事に終わり
いざ銀山ベースでライブ
とても風が強い夜で集客も不安だったが6名ほど来客があり
広島のドッグフード買い太郎さん
この日から合流で僕ははじめましてのグッナイ小形さん
そして組んだくれたハジメさんと
カフェでのライブではあったがマスターのこだわりもあり
音響の設備はかなりちゃんとしていて気持ちが良かった

僕のお客さんは0だったがCDを購入してくれたお客さんもいて
とても嬉しかった この日もお酒を飲み
打ち上げは演者4人でお好み焼き屋さんにはいった

この日の宿は一泊2000円のゲストハウス
とても新しくて素敵な宿だった
外国人のスタッフが多くいて海外旅行客向けのゲストらしい

久しぶりにとても気持ち良い睡眠ができたが僕の足がひどく匂った笑

翌朝、早起きをして徒歩でいけるということで原爆ドームと平和記念資料館へ訪れた
広島市内自体はじめて訪れたので僕にとって初見だった

川沿いを歩き原爆ドームがみえてきた
若い女の子ふたりはまるでディズニーランドにいるかのように
バックに原爆ドームをいれて自撮りをしていた
なにをするのにも自由なのでなるべくなにも思わないように
ゆっくりと原爆ドームを眺めた
中は入れないので外観を撫でるように眺めた

その後資料館へ
記念碑がまずは外にある
絶えない火が灯ってる

僕は静かに合掌し黙祷した

資料館の入場料は300円 安いなと思った
僕は原爆投下の日や終戦の日をパッと口に出せる程には物覚えが悪い
誰かに言われた通りにやはり資料館はとてもダウナーになるものだった
わかってはいたが悲惨な過去を目の当たりにして落ち込みながら歩いた

でも本当にいってよかった 日本人なら なんて偉そうには言えないが
是非一度は足を運んでほしい 確かに戦争があり原爆が落とされ日本は降伏した
国のために目眩がするほどの数の人間が死んだ

そして僕は家族や地元の友達 愛する人たちに会いたくなった

頭が悪い僕でもわかった 戦争ほど酷いものはないかもしれないと
二度と戦争をしてはいけない
国内で戦争のない時代に生まれて幸福だということ
今もなお戦争してる国がある事を忘れてはいけないこと


2020年3月9日月曜日

この旅を終えたら2

遠征5日目 広島銀山ベース

そうだ、この前日のディプロマサーキット終わり
途方に暮れた大阪の街中で僕のiPhoneの画面は息を絶えてしまった
落として壊れてしまったのだ
どこに行くにも誰に連絡するのももちろん携帯を使っていた
どこにいるのかどこへ向かうかも分からなくなり
酔った身体をなんとか叩き起こして心斎橋へ向かった
ブロンズにいこう、誰かいるかもしれない
時刻は23時くらいだったろうか
駅員さんやコンビニの店員に尋ねながらなんとか心斎橋BRONZE
灯がついてるものすごく安心した
バイバイした筈のしょーたさん つっちーさん りんちゃんが迎えてくれた
「携帯壊れました」と言ってそこからしょーたさんが色々連絡してくれた
ともかく明日の朝には大阪を出て広島に行かなければならない
ハジメさんの電話番と 何かあったときのため
しょーたさんと札幌のけーさんの電話番号をメモした
さすがにちょっぴりしょーたさんに怒られた笑
25歳、そりゃもっとちゃんとしなければいけない、とほほ
広島までの経路も調べてくれてその夜は近くの24時間サウナ&カプセルホテル
サウナにもシャワーにも浴びず3時間パックは一瞬で睡眠に奪われた
眠気まなこで宿をチェックアウトしてまた駅員さんに尋ねまくってJR新大阪へ
広島までの所用時間も最安料金の乗り物もなにもかも不明
とりあえずこれから広島へ向かう事を伝える為に公衆電話
はじめて公衆電話を血眼で探したかもしれない
10円わずか数分 繋がらない 10円か100円しか使えない公衆電話
100円入れてもお釣りはでない 10円ない 100円投入 ハジメさん 電話に出ず
電話できず公衆電話に100円吸い込まれていった

駅の受付のお姉さんに尋ねてもあまりピンと来る情報は得られず
とりあえず高速バスが安いだろうと高速バス乗り場へ
若干呆れられながらチケット売りの駅員さん
確か4千円くらいで広島行きの高速バスに乗り込んだ気がする
結構かかったと思う10時過ぎの便で15時とかだったかな?

車中は時間を潰せるものも特になく
ぼーっとバスの外を眺めていた
なぜかとても寒い日で雪が降っていた
最初は大粒の雨かとおもったが紛れもなく雪だった

西日本で雪をみるとはおもわなかった

心ここにあらずのまま広島到着
公衆電話で速攻ハジメさんに連絡
やっと電話が繋がった時の安心感は半端なかった
とりあえず移動せずそこにいてくれ、迎えにいく
との事だったのでしばらくバスセンターで待った

見知らぬ土地 現代社会に携帯無くして放り出された人間
ハジメさんと出逢えた時の感動は電話越しの安堵を遥かに超えた

とりあえず携帯を修理してもらおうと提案してくれて
幸いにも会場近くにiPhoneの修理屋さんがあるのを確認して一緒に向かってくれた
液晶交換 1万円 背に腹は変えられない 即答でお願いした
時間が少しかかるということだったので会場に向かうことにした
銀山ベース着 とてもお洒落なカフェだった

安心したらとてもお腹が空いてしまった
銀山ベースは食事もできたので食事を済ませることにした

カツカレーとカツサンドを食べた 泣きそうになりながら一気にたいらげた

2020年3月8日日曜日

この旅を終えたら

2020.02.013 札幌新千歳空港からスカイマークに乗り込んで神戸空港へ
ちょうど1年ぶり遠征 僕は久しぶりに飛行機乗り込んだ
スカイマークが好きなのでなるべく関西に行く時はスカイマークを使う
昼過ぎに到着した 神戸空港は相変わらず好きな場所だ
神戸空港から大阪に向かう

遠征1日目 大阪昭和町ノーユーノーミー

ライブはこの日からはじまった 大阪昭和町ノーユーノーミー
昔から世話になってるホシヲさんが一念発起して開業したバー
そして今回西日本の日程を組むにあたってお世話になった法橋ハジメことハジメさんともこの日から共演だった 遠征1日目 大事なスタートライン はじめてのノーユーノーミー
ほとんど心配する事はなかった ホシヲさんサチオさんハジメさんぼくという出演でとてといい夜だった この日僕のお客さんひとり 三好リョウというだいすきな先輩が駆け付けてくれた ほんとにうれしかった 大阪で今まで出会った人ともっと会いたかったけど単純に自分の力不足を感じた 知った顔ばかりで気持ちの良い夜だったけどもそれだけが引っ掛かった 
みんなそれぞれの生活がある またすぐに来れるようがんばる
親愛なる新世界ホシヲ先輩 ありがとうございました

この夜はハジメさんの伝で宿はどうにかしてくれた
僕はこの1か月に渡る遠征でも使える金は少ないので宿は取らなかった
まぁいつも遠征で宿を取ったことはない 今回もそんな感じである



遠征2日目 大阪心斎橋BRONZE

心斎橋では久しぶりのライブだった 1年よりももっと前
2017年に新神楽というライブハウスでやったきりだった
BRONZEもずっとやりたかった箱でやっと今回やれた この日の出演者はバンドが3組ソロが僕を含め2組だった ブッキングマネージャーのしょーたさんにお願いして組んでもらった この日の予約は0だった 悔しくて黒い気持ちを何度も何度も消化しようとしていた 箱の雰囲気は最高だった 一瞬でだいすきなライブハウスになった しょーたさんとの出会いはかれこれ5年くらいになるのでそういう安心感もあったかもしれない 週末の心斎橋 僕はまたしても力不足を感じた 出番は2番目 結論から言うと僕は超最高なライブをしてしまった いいライブできてると思うと不思議と立っているステージとフロアがすごくでかく見える現象がある(僕だけかもしれない) 奥の奥のバーカウンターまでよく見渡せた 一瞬見覚えのある顔がみえた気がしたがライブを最後までやりきった ステージを降りてフロアに戻ると間違えではなかった 当日でひとり札幌で出会った友人がきてくれていた こんちゃんと言う女の子でもうびっくりするくらい久しぶりの再会だった 彼女は僕が以前やっていたTHE安全ピンというバンドのMVを作ってくれた子だった 骨まで愛してるという曲で今見返すとちょっぴり恥ずかしいくらい前の作品だ びっくりした 今は大阪のイベント会社に勤めているらしい 音楽を続けててよかった 僕はそれまでの悔しい気持ちを一気に消化して こんちゃんと握手をして終演後別れた そういえばバレンタインだったらしくてわざわざお菓子を差し入れしてくれた ちょーうまかった 絶対高いやつだ ありがとう 
その後会場で打ち上げをして 宿のない僕を気遣うようにしょーたさんは「飲みいこうや」といっても朝まで心斎橋で飲んでくれた Dr.foolのスタッフのあっちゃんも駆けつけてくれてあっちゃんもわざわざ板チョコ3枚も買ってきてくれた 共演のつっちーさんやスタッフのりんちゃんと朝まで飲んだ すげーたのしかった そういえば楽屋にマイヘアワンマンのセトリがあったので写真に撮って送った 今日ブロンズ? と返してくれた
この日はそのままなんとかして姫路に向かったと思う


遠征3日目 兵庫姫路縁楽堂

この日からハジメさんと合流
兵庫でライブするのも随分と久しぶりになってしまった
この日は村上リョーケン君という子が企画をしてくれた
昼飯にアナゴ丼を食べて途中姫路城を眺めながらお昼頃ハジメさんと会場入り
普段はゲストハウスを営んでいる場所で古民家をほぼそのまま活用してる感じ
民宿の集まりばのスペースでライブをした
リョーケン君は年下でとてもいい子でいい唄をうたっていた
ばあちゃんちの居間でライブをしてるようなそんなかんじで良い意味でラフく 本気でうたった この日もまた酒をすすめてしまうようないい夜だった
お客さんとしてきていたバショーという男の子がハジメさんとリョーケン君の知り合いで彼の家に泊まる事になった ありがとう 新型のハチロク(2ドアのスポーツカー)に乗せてもらったらバショーの家で眠った 朝 バショーがやはり愛車のハチロクで駅まで送ってくれた 車内は言わずもがなパンパンだった たのしかった 主催の村上リョーケン 本当にありがとう


遠征4日目 大阪中津DIPLOMACIRCUIT

朝はすごくはやくて出番がお昼頃の大阪中津に間に合うようギリギリで電車に乗り向かった 姫路から大阪は2時間くらいだったかな 
このサーキットイベントは大阪の専門学校ESPエンターテインメントという言わばミュージシャンや舞台のスタッフ等を育てる学校 その卒業生による卒業制作イベント
2日間に渡る無料のサーキットイベントでその2日目に誘っていただいた

去年はブロンズのしょーたさんが紹介してくれて出演させてもらったのだが今年は主催の学生から直にオファーのメールがきて出演の流れになった
僕はこのディプロマサーキットをボイガルがよく出てるイベントとして認知していた
先輩が通ってるイベントな分 僕もそれに携われるのはとてもうれしかった
僕の会場はカフェ ステラというお店で行われた 言わずもがな無名 きっと僕の事目当てなんてごく僅かだったと思う それでも何人かみにきてくれてとても安心した どんな状況にせよ僕は一生懸命ライブするだけだ 担当スタッフの子たちが一生懸命に接してくれる 去年も今年もだった すごくよかったです その子達のその一言にもとても救われた 来年もよろしくお願いします と僕は返した ありがとうディプロマサーキット 卒業生達 おめでとう お疲れ様